「羊をめぐる冒険」を読み返す

  • 2019.07.18 Thursday
  • 21:53

 

「羊をめぐる冒険」を読み返している。
若い頃に読んだ本を読み返したりすることは、なかったことだった。
そういうことができる暮らしになったということだろう。
当然、若い頃とは感性が違う。
少し前に、若い頃、繰り返し読んだ「青春の蹉跌」は、最後まで読めなかった。
残念ながら歳を取ってしまったということだ。
でも、「羊をめぐる冒険」についていえば、若い頃に読んだときの気持ちに近い読書ができている。
結末を知ってる以外は。
近ごろ、身体を壊しているので、毎晩、家庭用サウナに入ってるのだが、その間が読書タイムだ。
紙の本の効用はそういう場所でも読めるということだろう。
文庫本の上巻まで読み終えた。
登場人物が皆、魅力的だと思った若い頃。
そういう人間になりたかった。
歳を取って、文章の中に何回か出てくる「凡庸な人間」に、僕はなれただろうか。

 

JUGEMテーマ:日記・一般

事故 ー 身体の痛みは後から出てくるが、心の痛みも後から湧いてくる

  • 2019.06.27 Thursday
  • 22:48

 

2019年6月26日 8時 事故を起こしました。

少し前に降った雨で、路面はぬれてました。

ふだんからスリップには気を付けていたのですけどね。

カーブで制御不能となり、気づけば横転した車の中に居ました。

一回転半ひねりしたようですが、死にませんでした。

かすり傷と軽い打撲であることが直後は当たり前に思ってましたが、幸運だったようです。

他のひとを巻き込むこともなかったのも、極めて幸運でした。

直後に走ってきた車のひとたちが、車から出るのを手伝ってくれました。

動転して110番に電話が掛けられないのを、代わりにかけてくれました。

後から、アクエリアスとバナナを持ってきてくれた人もいました。

もう少し生きていていいみたいです。

 

JUGEMテーマ:日記・一般

なつかしのBスポット♡

  • 2019.06.01 Saturday
  • 15:23

 

声が出なくなって歌えなくなったのは6年前のこと。

これはまずいと、訪れたのは東京は品川にある、東京ボイスクリニックというところだった。

そのクリニックで、受けた治療は、のどの上咽頭部へ器具を入れてぐりぐりと塩化亜鉛(消炎剤)を直接塗布・擦過するというものだった。これを「Bスポット治療」という。

この施術が受けられる耳鼻咽喉科は日本でも限られている。それが、今の住まい、石垣島で受けられるとは思わなかった。

 

ゴールデンウィークの後半、風邪をひいて熱を出した。インフルエンザ判定はマイナス。しかし、熱の後ははげしい咳。そして、のどを壊して声が出なくなった。

6年前の悪夢の再来かとも思ったが、一週間ぐらいで声は出るようになった。

しかし、なかなか完治しない。そして副鼻腔炎の症状が顕著になってきたので、耳鼻咽喉科へと行ってみた。

 

ひなにはまれなと言ったら失礼か、石垣島にしては、ちゃんとした耳鼻咽喉科クリニック、「とみやま耳鼻咽喉科」という。富山さんが院長だ。

初回には、レントゲン撮影をして、副鼻腔炎の様子を確認。

それほど症状が出てなかったのは、前日から飲み始めた辛夷清肺湯が効いたのかも知れない。

そして、一週間過ごしたが、あと一歩で完治というとろで、状態が上下している。下のときは、微熱が出たり頭痛が出たり。後鼻漏に粘性の高い黄緑色が出るのも続いた。

それで、二度目の受信で、ファイバースコープでのどの様子を見てもらうこととなった。

 

少し声帯が腫れているのは、前日のライブのせいもあるか?医者はなかなかおもしろいことを言っていて、声を出すときに私は声帯の前の部分を覆いかぶせるようにして声を出しているのだそうだ。普通ではないが、癖とかそんな領域の話らしい。長年、歌を歌ってきた結果なのだろうか。
さて、それで、視診ではあまり顕著な問題が見つからないという事で、先の「Bスポット治療」を行うことに。薬剤の布で上咽頭をグリグリしたときに、出血があるようだったらそこに炎症がある証という、かなり乱暴な診断。まあ、そういうものらしい。
はたして、血がにじむような結果。ちなみに、この治療、そこそこ痛いです。

 

ということで、なつかしのBスポット治療を石垣島で受けることに。次週も受診して施術を続けることになりました。

 

よくなるといいね。

 

【色々写真撮った】
【声帯 すこし腫れてる】

 

JUGEMテーマ:健康

子供の頃の家の庭といえば、ちょっとした植物園のようだった

  • 2019.03.31 Sunday
  • 23:43

子供の頃の我が家の庭は、ちょっとした植物園のようだった。
祖父の趣味で、様々な庭木が植えられ、池さえもあった。柾の生垣に囲まれて、梅、松、槙、紅葉、木斛、椿、木蓮、木瓜、茱萸、山桜桃梅。今も思い浮かぶ。そして、それらの樹木の下に、雑草のように生えていた草花も、珍しい植物だったりするのだった。


僕はといえば、幼い頃から、庭のさまざまな植物の名前をひとつひとつ覚えていって、やがて庭のすべての草木の名前を記憶した。
今のように、ネットで画像検索ができるわけではない。人づてに聞いたり、つぶさに図鑑を調べて、名前を知った。

 

庭の草花の中で、我が家の庭以外では見たことがない、外来の花が三種類あった。スノーフレークとスノードロップ、そして、シラーぺルビアナ。祖父がどうしてそんな植物を植えていたのかはわからない。けれど、この三種はお気に入りだった。

 

草木の名前を明らかにする行為は、子供時代の蒙昧の世界から認識世界への転換だったのかもしれない。
あるいは、先人のつけた名前を知ることが、自分独自の世界から既存社会への同化だったのかもしれない。

 

まあ、そんな深い意味はなくて、子供の頃によくある電車の名前を覚えたりとかの単純記憶のバリエーションだったのかもだけど(神経細胞は鍛えられたか)。

いずれにしても、その頃に覚えた植物は今も忘れない。子供の頃の庭にあった植物の名前だけは、今も即答できる。

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

SNS考

  • 2019.03.24 Sunday
  • 09:43

 

美味しいものを食べて

「これ美味しいね」

というのは、何を求めてそう言ってるんだろう。

昨日の夜中に夢と現の間で、そんな共感についてのことを考えていた。

けれど、もちろん、そこで何を考えてたかは忘れてる。

誰が聞いてるでもない独り言。

誰かに共感して欲しい発信。

「そうだね」

と。

 

「美味しいから食べてごらん」

これは価値観の押し付け。

押し付けという言い方だが、悪い意味でない。

替わる良い言葉が見つからないな。

でも、そこには美味しいという自己価値観に汎用性があるという、自己肯定的な自信を感じる。

そこに自信がないとすれば、単に世の中の多様な価値観を知らない世間知らず。

 

価値観を押し付けられたい人もいる。

多様な価値観への探究心。

「食べてみたい」

 

「マル月バツ日、美味しかった。」

それは、未来の自分に共感を求めてる。

だから、独り言ではない。

 

誰かは、自己表現として、

「そうだね」

と。

共感したいという欲求。

共感していないでも、共感したい。

 

「これ美味しいね」

「そうだね」

双方の思いに齟齬。

共有における応答ではなく、それぞれがそれぞれの思いで、発信して受け取る。

共有してるという幻想。

 

幻想は悪くない。

そんな、なんとなくの共有で、寂しくなく人は生きてるのだろう。

 

「そうだね」= いいね

 

JUGEMテーマ:日記・一般

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM